- 196 名前:似非専門家 投稿日:17/05/20 19:21 ID:1Ll.652R3M
- >ら抜き言葉が単純化であるかどうかは「受身・可能・自発・尊敬」の四形態を同じ「られる」で表現するのではなく「可能」だけを「れる」に独立させることが単純化か複雑化かという話だと思いますー。
違います. 現代の文法では,動詞の可能形を作るのに特別な規則があるのですが,これを単純化したのが「ら抜き言葉」になるということです.
例えば,動詞の受身形を作るときには「れる・られる」を,使役形を作るときには「せる・させる」を付加するというルールがあります. 「れる」と「られる」,「せる」と「させる」はそれぞれ異形態で本質的には同じものです. そして五段動詞と一段動詞でも同じ規則が適用されます.
ところが可能形を作るときには例外が生じます. 一段動詞の可能形は「れる・られる」を付加して「調べ・られる」のように作られます. しかし,五段動詞の場合,例えば「書く」に「れる・られる」を付加した「書かれる」という形は,現在では可能の意味としてはあまり使用しません. 代わりに「書ける」という形で使用します.
つまり,動詞の可能形を作るときだけ,一段動詞と五段動詞で異なるルールが用いられるのです. つまりその分複雑な訳です. 規則が単純化する場合,一段動詞だろうが五段動詞であろうが同じ規則で可能動詞を作ろうとします. そうなると,一段動詞に「書く→書ける」と同じ規則が適用され「調べる→調べれる」となります.
こうした理由から,「ら抜き言葉」は文法の単純化と言われています.
あと,「口語文法」という言葉は「文語文法」との対比で使用しました. 「話し言葉」の意味ではありません.念のため. また,文法の単純化という現象は長いスパンで起きますので,昔の日本語文法と比較するしかありません.
-
もなQらいとへ 掲示板に戻る レスを全部読む 最新レス20
|