もなみ9歳
〜Lite〜
2005年10月26日 七面鳥の後にガーター
 えっと。
 しづ子姉様が、ガーター勲章の起源について書かれていますねー。
 この起源、実は英国大使館のQ&Aコーナーにも書かれている有名な話なのですケド。
 ちょっとイギリス史に詳しい人ですと、この大使館の文章を読んで、思わず「はぁ?」と言ってしまいそうですー。
 だって「チューダー王朝の年代記作者によって最初に記録された伝承によれば」ですよー。
 チューダー朝の初代ってヘンリー七世なわけでー。
 ヘンリー七世の在位って1485年からじゃないですかー。
 1347年に起こったガーターベルト事件が最初に記録されたのは100年以上も経ってからって、どう考えてもおかしいでしょ?
 というわけで、本当の起源について書きますー。
 ガーター勲章というのはガーター騎士団と同時に制定されたわけですケド、ガーター騎士団というのはエドワード三世が、敬愛するリチャード一世の故事にちなんで名付けた騎士団ですー。
 リチャード一世の故事というのは、彼が十字軍遠征のさいに戦場で部下と共にガーターをつけたという話で、なんでそんなことをしたかと言いますと、ドラゴンを退治したセント=ジョージという伝説の人が、右手には血まみれの十字架を、左足にはガーターを巻いて生まれたとされていたからですー。
 つまり、カリーのガーターベルトの故事なんか関係なく、セント=ジョージ→リチャード一世→ガーター騎士団というつながりがあるのですよー。
 だからこそガーター騎士団の守護聖人がセント=ジョージであり、ガーター騎士団は左足にガーターを巻くのですー。
 さて、では何故チューダー王朝の年代記作者様は、カレーの逸話なんか作ったのでしょうかー?
 そもそもカレーの逸話となったガートルード=ソールズベリー伯爵夫人ジョーンはエドワード三世の愛人だったと言われていますー。
 つまり、エドワード三世は、愛人ジョーンの落としたガーターベルトを拾ったということなのですねー。
 そうすると「Honi soit qui mal y pense(思い邪なる者に災いあれ)」という神聖な言葉が、「愛人関係を揶揄する奴は許さない」という意味になりさがるのですー。
 ここでちょっとチューダー王朝の成立について考えてみましょー。
 ヘンリー七世がチューダー王朝を開けたのはボズワーズの戦いでリチャード三世を破ることができたからですー。
 そして、ジョーンがエドワード黒太子と再婚して生んだ子供の名前がリチャード二世なのですよー。
 もちろんリチャード三世とリチャード二世には血のつながりはありませんし、ヘンリー七世もリチャード三世も祖先を辿るとエドワード三世に繋がりますし、エドワード三世とジョーンのカンケイも噂にすぎませんー。
 ただ、エドワード三世とカンケイがあったと言われ、その息子のエドワード黒太子と結婚した「魔性の女」の産んだリチャード二世の名を継いだリチャード三世を破って成立したのがチューダー王朝というあたりに逸話の出来た本当の理由が隠されているような気がしますー。

 ところで、もなQが調べたところ、1998年にアキヒト天皇様がガーター勲章を頂いてるのですケド、知ってました?
・・・空き都たま:誰にもそれフランスだろと突っ込んで貰えないので独り静かに自重崩壊いたします・・・
空き都〜様:奥様方のための愛のくるもな劇場…チューダー調はカレーのにほい
しづ子たん:これはまた面白いお話が…!愛の劇場状態のストーリーが絡んでいたとは。さっそく補足しますねー。
名無しちゃん:ガーターってゲートルってことで良いんだよね?
名無し様:知りませんでした。というか、ガーターベルトに関係する勲章があったことも・・。
名無したん:タイミング良くキリスト教ゲトー
名無し様:おー。くるもなげとー。

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