もなみ9歳
〜Lite〜
2005年12月21日 ウシミツドキって何時?
 えっと。
 これは世の中にとっては良いことなのですケド、復活した途端大きなニュースが軒並み無くなってしまって、YAHOO様のトップニュースですら、ほのぼの系の犬そっくりのジャガイモ収穫という状況なので、ネタが何もありませんー。
 というわけで、今回も雑学ネタで誤魔化しておこうと思いますー。
 この犬ジャガイモニュースですケド、来年の干支は戌年で、だから犬そっくりのジャガイモがニュースになったわけですよねー。
 でも、もなみも干支って言いましたケド、本当は干支って十干と十二支の組み合わせで、ただ戌年と言った場合は、干支ではなくて十二支と言うのが正しいのですよねー。
 ところで、もなみが十二支と言って思い出すのはウシミツドキと鬼門(ウシトラの方角)という言葉ですー。
 で。
 後ろのほうのウシミツドキ、午前2時頃と言われてますケド、本当でしょうかー。
 江戸時代の日本では、1日を12に区切って十二支を当てていましたー。
 子というのは午前0時から前後1時間、丑というのは午前2時から前後1時間・・・となっていたわけで、丑の刻が満ちはじめるのが午前2時だからウシミツドキは午前2時ー。
 という話を聞いたことがあるカモ知れませんケド、これは嘘ですから信じないでくださいねー。
 今はウシミツドキを丑満つ刻と書いたりしますケド、江戸時代にはウシミツドキは丑三つ刻と書いていて、ミツというのは3の意味だったのですー。
 なんで3なんて数字が出てきたかと言いますと、1日を12分割しかしないと単位として大雑把すぎて不便だからですー。
 ですから、実際には十二支をさらに1つ刻から4つ刻までに4分割して用いていたわけで、丑の刻というのはウシヒトツトキからウシヨツトキまであり、4分割の3番目がウシミツドキというわけー。
 そうすると、ウシヒトツトキが午前1時〜午前1時半、ウシフタツトキが午前1時半〜午前2時、ウシミツドキは午前2時〜午前2時半になり、だからウシミツドキは午前2時ー。
 という話も聞いたことがあるカモ知れませんケド、これも嘘ですーw
 何故かと言いますと、定時法が使われるようになったのは明治時代の太陽暦改暦後のことで、江戸時代の時刻は不定時法だったからですー。
 不定時法という言葉は聞きなれないと思いますのでちょっと説明しますねー。
 現在使われている時間って、1時間は1日をきっちり24分割した長さですよねー。
 これを定時法と言うのですケド、江戸時代は1時刻は1日をきっちり12分割した長さではなかったのですー。
 ではどうしていたかと言いますと、日の出は卯の刻、日の入りは酉の刻と固定していて、その間を均等に6分割ずつして昼の時刻と夜の時刻を決めていたのですー。
 つまり、昼の長さが長い夏は卯の刻〜酉の刻までは12時間より長くなり、冬はその逆となったのですー。
 そういうわけで、丑の刻は季節や場所によって変化したわけで、午前2時=ウシミツドキになるとは限らなかったのですー。

 ところで、22日は冬至ですから昼の長さが最も短い日、つまり丑の刻が最も長い日なので、もなQは夜中に神社に行くのには最適な日としてお薦めしておきますー。
名無し様:いや次は冬至、南瓜&菖蒲湯ネタとみた。
名無し様:次はイブとは〜と繋がると予想
うしぴょん:Flash江戸の和時計 か マカロニアンモナイト/からくり時計 で検索。
にぽ様:そもそもの辰刻は定時制だったとか、庶民一般は不定時制というなら数字式なのでは?とか
名無し様:話と関係ないんですがこのページを見るのがまた日課になってきましたw更新頑張ってください!
ロック様:不定時法の話を江戸時代に限定してたのと、じゃあ時計はどうしてたんだろうと思って調べてみました。室町時代ごろから不定時法が使われるようになって、それ以前は定時法だったんですね。江戸時代に限定していたのに納得。
Σ空き都っ様:冬至祭ならぬ丑の刻参りですかっ?!
ア(ry様:引っ掛け多いなーw
名無したま:1ゲット
うにゅ。様:ぼらぼらだったわけですね。
檸檬来夢ちゃま:激凶 _no
名無し様:凶…

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