2001/08/06
地球に優しい話1
地球に優しいという言葉があります。
これは現在の地球の環境に対して変化を起こさせないような状況を差す言葉のようですが、考えてみればおかしな話です。地球は別に現在の環境を優しいとは思っていないと思いますよ。そもそも地球はもともとは溶岩の塊のような物質だったわけで、それが冷えてそこにアミノ酸が誕生し、それが成長して光合成を行う生物が誕生し、その生物が酸素を吐き出し、その生物を食べる生物が誕生し、という具合に激しく変化していったわけです。地球の環境を守ろうというのなら、もともとのどろどろの溶岩のような状態まで戻すことが地球の環境を守ったことになるとも言えるわけです。さらに言ってしまうなら、どんなに現在の状態を維持しようとしてもいずれは地球は肥大化した太陽に飲みこまれて消滅するわけですし、それを人間ごときがどうにかできるものでもありません。初期の地球の状態から現在の地球の状態になるまでの過程において地球は別に優しいと感じたり厳しいと感じたりしたことはないと思いますし、それは一種の逃避的な擬人化行為だと思うわけです。そもそも我々が地球に優しいと呼ばれている行為は実は「人間に優しい」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。そして「人間に優しい」という行為にもかかわらず、それをそのまま「人間に優しい」と表現することが非常に傲慢に聞こえるため、あたりさわりのよい「地球に優しい」という言葉に置き換えて使っているだけで、その根底にある傲慢さになんら変わりはありません。むしろはっきりと「人間に優しい」と表現したほうが謙虚とも言えるかもしれません。だいたい自然を守ろうという言葉もおかしな言葉で、自然の中には人も含まれていますし、例えば環境破壊を起こす酸性雨ですら本来は人類という自然の生き物が引き起こしたものであり、ある意味自然の一部なわけです。
明日に続きます。
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