2001/09/17
招き猫の話2
昨日の続きです。招き猫伝説はまだまだありますので全部紹介して検証しましょう。
浅草に住む老婆が暮らして行けなくなり親戚の家に預けられることになったのですが、さすがに飼い猫までは連れていけません。そこで泣く泣く手放そうとしたところ、夢に猫が出てきて、「自分の姿に似せた像を造って裏に丸〆と書いてまつれば富が入る」と言います。そこでその老婆は言われたとおりに猫の像を作ったところ、思わぬ大金が転がり込んで親戚の家に行かずに済んだそうです。これを伝え聞いた人々が「猫の像を作れば富が入る」と言って素焼きの招き猫が作られるようになったというものです。実はこれを裏付ける証拠として日本最古の招き猫の図として丸〆猫の図が浮世絵で存在しているのです。ちなみにこの丸〆猫に関しては願いがかなったら金をお供えするという風習がありました。この説はかなり有力なのですが、意地悪な見方をさせてもらうと、伝説は事実ではなく猫の素焼きを売る商人が口上として以上のような話をでっち上げた可能性もあり、絵があるからといって元祖とは言いきれないと思います。次の伝説に行きましょう。昔、時田喜三郎という人の出入りの魚屋の木下伊之助は時田家に来るたびにその飼い猫に魚をあげていました。その木下伊之助はある日大病を患います。蓄えも尽きかけたところ、玄関に二両が置かれていました。そのお金を使って病気を治した木下伊之助が久しぶりに時田家に伺い、誰かが置いていった二両の話をしたところ、家中が大騒ぎになりました。どうしたことかと聞いてみると、時田家から二両のお金がなくなって、どうも猫の仕業らしいため、その猫を殺してしまったと言います。金をくわえだしたのは日ごろの魚の恩に報いるためだったのだろうと、皆泣いたということです。ちなみにこの猫の墓は回向院にあります。この小判猫説で有利な点は、招き猫の基本属性である「小判を抱えている」というところを説明しているところですが、残念ながら肝心の猫の墓にある猫の像が丸くなって寝ているのです。そういうわけで、これもどうも外れのようです。
明日に続きます。


 

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