2001/09/24
彼岸とお萩とぼた餅の話1
うちの両親というのは、なかなかに面白い人達でして。突然とんでもないことを聞いてくることがあります。今日も実家に娘を連れていったところ、突如「なぜ彼岸のときにお萩を食べるのか」、「ぼた餅とお萩の違いはなんなのか」と、聞かれました。私もさすがに即答はできませんでしたので調べることになったのですが、ついでにテーブルトークのネタにします。
さて、まずは彼岸というものについて説明しましょう。そもそも彼岸というのは波羅蜜多(般若波羅蜜多の波羅蜜多)のことです。波羅蜜多とは迷いの此岸(しがんと読む)から悟りの彼岸に渡ることを意味します。ちなみに中間にあるのは煩悩という大海ですね。つまり、仏に至るために菩薩が行う修行のことなのですが、菩薩というのは誤解されているようですが特別な人ではなく、悟りを求めて修行する人や、周りに修行を薦める人のこと全てを指します。ようするにブッディスト(仏教徒)の全てが菩薩と言ってもよいわけで、我々ももし悟りを求めているなら菩薩なのです。さて、彼岸ですが、今書いたとおり本来は悟りを開くための修行そのものを指す言葉ですからもちろん季節など存在せず、毎日が彼岸だったわけです。ところが、毎日彼岸だ修行だなんて言っても普通の人にできるわけもなく、でも悟りは開きたい、ということでお手軽簡単に悟りを開けないものか、と考えるわけですね(この発想が南無阿弥陀仏と唱えればいいとか南無妙法蓮華経と唱えればいいという発想に繋がる)。そのため彼岸会(ひがんえ)というのを催すようになります。彼岸会というのは春分および秋分の日を中心としてその前後七日間のことを指します。この日に修行すると一年間修行したのと同じ効果が得られるそうです。そしてこのうちに布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つを実行する必要がありました。これまた余談ですが、もともとこの彼岸会というのは崇道天皇の霊を慰めるために行ったのが始まりなのですが。そういうわけで彼岸というものが誕生します。
と、彼岸の話を書いていたら行数を越えてしまいましたので、明日に続きます。
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