2001/09/25
彼岸とお萩とぼた餅の話2
さて、昨日は彼岸についてざっくりと説明しましたので、いよいよなぜ彼岸にお萩を食べるのかという話です。
そもそも彼岸というのは悟りを開いた状態ですが、これには浄土宗の影響があるのですが、転じて「あの世の世界」を指すように変わりました。そこへ日本神道が紛れこみ、アニミズム的な先祖崇拝と混じって彼岸会は先祖を供養する日になります。そうすると基本的に先祖供養にはお供え物が必要ですから、それ専用の特別なお供え物を用意することになります。特別なお供え物としては日本では昔から米が使われます。これは中国から輸入された発想なのですが、米には元来魔を払う力があるとされているため(いわゆるウェディングのライスシャワーも実は中国の「米は魔を払う」ということから行われる行事がヨーロッパに流れ込んだもの)、米を用いたお餅というのはお供え物としては最適だったわけです。そこで当時は貴重であった甘味(餡)を加味したお萩を供えるようになり、それを先祖に供養するだけではなく自分たちでも食べるように変化していったというわけです。ただ、これにも別の説があり、もともと秋分に餅を食べる風習があったのではないかというのです。秋分の頃というのはちょうど刈り入れが終わった頃ですから、米が取れたことに対する喜びの祭りが存在しており、そこで餅を作ってみんなで食べたという風習があった、それが彼岸とたまたま季節的に重なったため秋の彼岸に餅を食うという風習になったというのです。
いよいよ本題のお萩とぼた餅の違いですが、実は実質的な違いは何一つありません。どちらも、もち米とうるち米を混ぜて炊いたものを軽くついて半餅状にしたものを千切って丸めてあずき餡やきな粉などをまぶしたものです。江戸時代の「本朝食鑑」に「母多餅一名萩の花」とあり、同一のものであったことは明らかです。しかし、一応違いらしいものを説明しているものもありますので、明日はそれについて書こうと思います。
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