2001/09/29
水戸黄門の話
水戸黄門が原点に戻って放送しなおしてからだいぶ経ちました。相変わらずの勧善懲悪のストーリに人気は高いようです。
もちろんご存じの通り水戸光圀公は諸国を漫遊したりはしていません。水戸光圀公は「大日本史」の編纂にあたって日本中に人を派遣したという史実があり、それに十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」を真似して水戸光圀公とその部下の俳人二人が旅行するという「水戸黄門漫遊記」という講談が誕生したというのが真相のようですが、残念ながら、この講談を作った人物に関して細かいことは明らかではありません。ただし、活躍した時期は1800年代前半と言われており、とりあえずは江戸時代であることは間違いないようです。さて、この水戸光圀という人は実在の人物もなかなかに面白い人で、例えばラーメンを日本で初めて作った人という話があります。もともと水戸光圀公は料理を食べるのも好き、作るのも好きという、かなり変わった人物で、そのため実際に明の儒学者である朱舜水という人物を屋敷に呼んで中国の麺を食べたという話も残っていますし、それが中華麺かどうかは別として自分で麺を打った(基本的にはうどんだといわれているが、ようは同じ小麦粉原料だし、細いうどんなら中華麺と言ってもよい?)という話もあります。また、あの「生類憐みの令」に逆らったという話もあるようです。さらに御三家にも関わらず「水戸学」と呼ばれる尊王学の基礎を作り、それが明治維新の原動力になったりしています。
ちなみに水戸黄門の黄門というのは役職名で、元来は持統天皇の時代に中国の制度に習って取り入れたもので、中納言を表しています。もう少し細かいことを言いますと正四位から従三位までの全てが黄門となります。後には権中納言も黄門と呼ばれるようになり、最大で十二人ほどの黄門が同時に存在していたようです。そしてその原点は仏教にありました。「大般若教(正式には大般若波羅蜜多経)」という教典に黄門に関する記述があるようですが、さすがに全八百巻もある大般若経を調べるだけの気力がありませんでした。あしからず。
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